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「ローマの休日」を観て、感じたこと。

僕は映画が大好きで、週に何本かは品揃えはあんまり良いとは言えないが家の近くにTSUTAYAがあるので借りてきて観ている。
映画好きを自称する僕ですが、好きなラブロマンス映画はありきたりすぎて少し恥ずかしいんだけど、みなさんご存知の「ローマの休日」なんですよね。
好きな野球選手は何ですか?って聞かれたら「イチローです。」と答えてしまうレベル。
この作品は1953年に製作された映画で、古典映画と言わざる得ないくらい前に作られた映画だけど、全くもって嫌な古めかしさを感じさせないし、僕も含め今の若者が観ても十分に楽しめる作品なので、是非観て欲しいと思う本当に素晴らしい作品。

以下、あらすじを拝借した。


少し話は脱線するが、僕は顔面にハンディキャップはあるとは言え、喋りとある程の雰囲気で女性には慎ましいながら相手にはされていたと思う。
しかし、社会人になって少し違和感というか、女性に対する接し方が学生の頃と変わってきたと感じるようになった。極端に言えば、小学生の頃は足の速い男の子がモテるが中学、高校ではそうではない。
そんな違和感を感じ取っていた矢先、ナンパ師アカウントを覗いてみた。はっきり言って興奮した。ナンパはクラブなんか行った時はやってたし、時々ストリートでも声をかけたことがある。ただレベルが違った。そして、「僕もやりたい。」と思いナンパアカウントをツイッター上に今年の3月に作った。
自分なりに泥臭く勉強し、実践を重ね、僕の仕事は週に一回しか休みは無く夜遅くまで働いてる環境にあるけども、即は10ヶ月で20人前後まで積み重ねた。よくこの顔面のポテンシャルで即れるなあと毎回思う。最初の3ヶ月は即の数を数え積み重ねていく事が喜びであったけど、今は別にどうでも良い。楽しくナンパし、素敵な女性とWin-Winな関係でセックスできれば良いと思っている。そういう観点で言えば「ナンパ師」では無く、ただの女好きの遊び人なのかも知れない。

そんなエセナンパ師がローマの休日を観て思ったことは端的に言うと「セックスを使わないという手段」だった


古い映画なのである程度は規制が入っているとは思うがアン王女とブラッドレーのキスシーンは二箇所ある、しかし、セックスはしてないのである。その雰囲気はあり、できる場面もあったがしていない。そこがこの映画のミソなのではないかと思った。

ローマの休日という映画がセックスありな映画だった場合ここまで語り継がれ、何万人もの人の心を響かせることができたのか?


僕はそうは思わない。


なぜそうは思わないのか、20半ばの若者であるので数が限られてはいるが僕の経験則で答えを出したい。

今現在、ずばり心地が良い女友達は全員セックスしていないから。

(心地が良いとはないか。それは一緒にいて男友達とはまた別の楽しさであり、心がドキドキする関係ではあるが性欲のソレとはまた違い、一線を越えると、この関係が崩れてしまう危険性があることをお互い踏まえた上で、お互いが友達以上恋人未満の状態で楽しめる状態のこと。)

そして、アン王女とブラッドレーがプラトニックな心地が良い関係でいられたからこそ、アン王女がローマでの最後の記者会見に臨んだあのシーンを美しいものになるのではないか。

記者会見が終わり、ブラッドレーが他の記者が帰った後、一人で宮殿の出口へ名残惜しそうに、一歩一歩ゆっくりと歩きながら振り返るあの心揺さぶられるシーンだ。


あの振り返った瞬間ブラッドレーはどう思ったのか?そこにこの映画の大事な部分が詰まっているのでないかと思い、僕は推測してみた。


それはシンプルに「また、会えたらな。」


もう少し深読みすると「また、会えたらな。あの時間をまた彼女と過ごしたい。もしかして、俺のこと待ってんのかな。振り返るのダサいけど……振り返ろう!あ……な…やっぱいない。でも、これでいいんだ。」

ではないだろうか。(様々な意見あるとおもいます。)


ブラッドレーは死ぬ時、アン王女との時間を思い出すんだろうなと思うし、アン王女もまた思うだろう。


そして、もう一つ本作とは異なる場合を想像してみた。

もし、アン王女とブラッドレーがセックスしていたのなら、彼はあの場面で心の奥底にある男の本音、つまり「やべぇ、もっかいやりてぇwwまた会いてえww」と思っていたに違いないのである。これはもう健全な成人男性の諸君なら必ず思っているに違いないと思われる。


会いたいという感情の背景が月とすっぽんなのである。


そして、僕は今回のあのラストシーンでのブラッドレーの心情を深く掘り下げたので、この事に気づけたのではない。

ローマの休日を観たほとんど全員がそう感じているのではないかと思われる。ブラッドレーとアン王女の関係性が心地良い関係で終われたからこそ、この映画は多くの人の心にいつまでも留まっているのではないかと思う。